東京五輪中止(2)

 安倍政権の、就中、安倍前首相の憲法改正実現への政治的野望は、菅政権において継承されなお息づいている。

 

 安倍前首相は2020年8月28日「持病悪化」を理由として首相の座を辞任した。

 その辞任に至る経緯は以下の通りと推測される。

 

 2020年5月、6月に一旦収まりかけた国内の新型コロナ感染状況は、7月頃から前回を上回る感染拡大し始めたことで、安倍政権の新型コロナ対策の不手際に批判が高まり世論の支持率も落ち始めるとともに、約1年後に迫ってきた2021年7月の東京オリンピック開催にも暗雲が垂れ込め、もしその先に中止決定をせざるを得ないような事態を招くことになれば、安倍氏個人の野望から「一年延期」とした安倍政権の政治的責任が厳しく問われることが十分に予想されうる状況になった。

 また、森友や加計問題などのスキャンダルをなんとか切り抜けてきた安倍政権も、2019年秋に発覚した「桜を見る会」や前夜祭に関する疑惑を振り解くことは困難を極め、2020年7月あたりからは弁護士らからの告発を受けた特捜の捜査が迫りつつあり、その先、安倍前首相本人、そうでなくとも秘書が刑事訴追を受けるような事態になれば、安倍氏の首相としての政治責任もまた厳しく問われることが十分に予想される状況に至った。

 

 つまり、2020年7月頃には、安倍前首相がそのまま首相の座を維持していったとしても、早晩それらの政治責任を追求され首相を辞任せざるを得なくなるものと予想されたし、仮に辞任にまで至らなくても、安倍政権及び政権与党に対する世論の支持を大きく失い、そうなれば安倍氏の「自分の手で憲法改正を実現する」との野望が完全に消滅してしまうこと必死というべき時期を迎えていたのである。

 

 そこで安倍前首相が考えたのが「ここで一旦、首相を辞任して世論の注目を外し、次の首相を自分の影響下で指名就任させ、その首相のもとで、憲法改正に向けてスケジュール化した安倍政権の諸政策をそのまま引き継ぎ実践させながら、時機を見計ったうえで首相の座を返上させて、まさに自分の手で憲法改正を実現する」というシナリオであったことは想像に難くない。

 

 まず、そのためには、「首相辞任」が、決して政治責任をとったと解されてはならないし、また1次政権の辞任の際の「投げ出し」同様の批判を浴びるようなものであってもならないし、さらにはまた将来、三度、首相の座に戻ったとしても格別の疑問ももたれない形のものにしなければならない。

 

 そこで安倍前首相は2020年8月上旬に「持病の再発」が確認されたと公表して「健康状態の悪化」を国民に印象付けておきながら、28日に「持病の悪化」を理由として辞任したものと推測できるのである。

 

 国の指導者の「病気や事故」は国家安全保障の観点から伏せられることが通例のところあえて「持病の再発」と公表したのは、すでにその時点で首相辞任を決めていたからであり、またその辞任理由が「持病」以外にはないことを印象付けること、さらには突然の「投げ出し」辞任であるとの批判をあらかじめ封じるためであったことにあろう。

  

 「持病」自体に関しては、安倍首相は、第2次政権発足当時、開発された新薬によって治癒したと述べていたし、また「持病の再発」の診療記録も公表されていないことから、「持病の再発や悪化」の真偽は不明と言うしかないし、さらには辞任のすぐ後の周囲も驚くほどの病気回復ぶりやその言動などからすれば、少なくとも当時、安倍前首相が首相を辞任せざるを得ないほどの「持病の悪化」という事実はなかった可能性が極めて高いと考えられる。

 

 次に「桜を見る会」前夜祭の刑事訴追問題については、安倍政権は、当初からの黒川氏の検事総長就任ごり押しで乗り切る算段は頓挫したものの、黒川氏の週刊誌報道で明らかとなった検察の「マスコミとの癒着」という政治問題を「賭け麻雀」という小さなスキャンダルへ落とし込むことで検事総長と和解し、よってなお検察への影響力を維持していたと思われるし、また実際、安倍前首相の首相辞任後の特捜のマスコミへの捜査情報リークの内容な時期あるいはその捜査手法、特に安倍氏本人への事情聴取についての異例のリークやマスコミの情報混乱などから推測すれば、一部ジャーナリストが明らかにしたとおり「2020年8月の検査入院が特捜の取調べ」であった可能性が高く、またそうであればそこで安倍氏が特捜が首相辞任と刑事不訴追との裏取引をした可能性も高いと思われるのであり、そうであれば首相辞任後もなお、時機をみて三度目の首相登板を目論む安倍氏にとって最大の障害になりえた「桜を見る会」前夜祭の刑事訴追問題は、その後の首相辞任によって事実上消滅していたことになる。

 

 

 そうであれば残るは、安倍氏が、その影響下において「憲法改正に向けてスケジュール化した安倍政権の諸政策そのまま引き継ぎ実践し、そのうえで時機を見計って首相の座を安倍氏に戻すこと」を約束したうえで間違いなくこれらを実行することが十分に期待しうる後継首相を指名することである。

 そしてその条件に叶うと判断され指名されたのが安倍2次政権で一貫して官房長官を務め上げていた現菅首相なのである。

  

  安倍氏は、当初後継首相の指名はしないと述べながら、菅首相選出後には事実上の指名であったことを認めており、また安倍一強といわれるように度重なる国政選挙を勝ち抜ちそのおかげで当選した多くの自民党員に対し派閥の帰属などを抜きにした絶大な影響力を持っていたことから、後継首相が安倍氏の事実上の指名に従ったものであったことは明らかというべきである。

 安倍氏は、菅氏が官房長官として安倍政権の諸政策の立案や実行を知悉しており、それを承継するにもっとも相応しいこと、また安倍政権の森友などの裏事情についてはその多くを共有しておりそれらについてはいわば運命共同体の関係にあることに加え、菅氏の政治家としての来歴や資質あるいは性格なども知悉しており、当時、みずから首相になる意思はないと公言し、また無派閥で首相候補にも上がっておらず、あえて安倍氏が望まなければ到底首相に就任し得なかった菅氏を、だからこそ、菅氏に重い恩義をきさせて裏切ることがないような意味合いを十二分に持たせる形で菅氏を事実上の後継首相指名したというべきである。

 

 したがって、菅首相は、安倍前首相が政治生命を維持して衆議院議員の地位に居続ける以上、安倍氏を裏切ることはしないし、できない。

 つまり、菅首相は、安倍政権が敷いた「憲法改正に向けてスケジュール化した諸政策をそのまま継承し実践している」のであり、そのうちの一つである、安倍氏が「一年延期」とした2021年7月開催予定の東京オリンピックについても、新型コロナの国内外の感染状況が以前に増して大幅に悪化しているというべき現在においてもなお、その開催実現に突き進んでいるのであり、またそうするしかない状況下にあるというべきである。

 

 前回指摘した通り、安倍政権が「一年延期」という特異かつ異例の申し入れを呑んでもらうために「一年延期後の大会は、なんとしても開催する、新型コロナが収束していなくてもその感染状況に応じた対策のもとで行い、再度の延期や中止を求めることはしない、延期に伴う費用やリスクはすべて日本側が負担する」といった条件を提示してIOCがそれを条件として承諾した可能性が極めて高いのである。

 

 そうであれば、菅政権はいま「2021年7月の大会は、新型コロナが収束していなくてもその感染状況に応じた対策のもとで開催するしかない、再度の延期や中止を求めることができないし、仮に実際上の中止に踏み切った場合に多額の経済的負担が襲いかかってくる」という進退極まる窮地に立ち至っており、菅政権のみならず日本の命運すら剣ヶ峰に立たされている、極めて憂慮すべき状況にあるというべきである。

 

 

東京五輪中止(1)

 2020年3月24日、同年7月に開催予定だった東京オリンピックが、年初からの新型コロナの世界的感染拡大を理由に「一年延期」と決定された。

 

 2020年東京オリンピックは、オリンピック憲章及びIOCと東京都、JOC(以下「契約当事者」という)との「開催都市契約(第32回オリンピック競技大会(2020/東京))」(以下「当該契約」という)に基づいて開催決定されたものである。

 

 昨今のIOCの招致を巡る汚職や過度の商業主義による弊害は、スポーツ界からのみならず世界の政治、経済、文化に携わる組織や個人からも、つとに指摘されてきているところ、それら弊害を可能な限り抑制するためにも、公表されているオリンピック憲章及び当該契約の遵守は強く求められるものである。

 

 しかしそのオリンピック憲章及び当該契約には「延期」についての定めは存在しない。

 

 オリンピック憲章では「オリンピック大会は四年に一度開催する」とし「開催が予定されていた年に開催され なかった場合は、その開催都市の権利は全て取り消される」と定めている。

 また当該契約66条「契約の解除」において「IOCは、以下のいずれかに該当する場合、本契約を解除して、開催都市における本大会を中止する権利を有する」と「中止」に関する定めをおいているが、「延期」の定めはない。

 

 実際、これまでの近代オリンピックの歴史上、「中止」はあっても「延期」はかつて一度もなかった。

 

 それにも関わらず「中止」ではなく「一年延期」と決定されたのである。

 

 新型コロナなどの感染症パンデミックは古代からまた近代オリンピックが始まってからも相応の頻度で起こっており、オリンピック憲章や当該契約がその事態の出現を想定していないわけではない。

 

 当該契約66条「契約の解除」の「中止」に関する定めにおいて、「戦争状態、内乱、ボイコット、国際社会に定められた禁輸措置の対象または交戦の一種として公式に認められる状況にある場合」と並べて「またはIOCがその単独の裁量で、本大会参加者の安全が理由の如何を問わず深刻に脅かされると信じるに足る合理的な根拠がある場合」としており、後者を今回の新柄コロナの世界的感染拡大の該当根拠規定と解されるのである。

 

 すなわち当時、IOCは、その「単独の裁量」で新型コロナの世界的感染拡大を「本大会参加者の安全が深刻に脅かされると信じるに足る合理的な理由」に該当すると判断すれば、当該契約を解除して「中止」する権利を有していたし、また7月開催の予定をその早期収束を見越して年末までの開催を了とし、それでもなお「2020年中に開催されない」ときにはやはり当該契約を解除して「中止」とする権利を有していた。

 

 このIOCの「中止」の権利行使は上記オリンピック憲章の「オリンピック大会は四年に一度」「その開催予定の年に開催される」との定めの遵守にも通じるものである。

  

 すなわち、オリンピック憲章及び当該契約を遵守するとすれば、2020年東京オリンピックは2020年末を限度として開催時期を遅らせるか、あるいは「中止」とする選択肢しかなかったし、またそうすることが適正あるいは妥当と考えられる状況にあった。 

 

 それにも関わらず「延期」とされたのである。

 

 さらにまた2020年3月といえば、世界に感染拡大していった新型コロナについて、未だその感染機序、感染力、重症化率、致死率などの医学的所見も乏しく、また治療薬やワクチンの開発認可についてはこれまでの例から二年あるいは三年以上必要とすると考えられていた。

 つまり仮に「延期」するとしても、この新型コロナの感染拡大が「一年」という単位で収束する見込みがほぼないことは、専門的知識や知見がなくとも通常人であればそう判断して然るべき状況にあった。

 

 それにも関わらず、なお「一年延期」とされたのである。

 

  

 このように、2020年3月24日の「一年延期」は、そもそもオリンピック憲章及び当該契約は「延期」の定めすらないところであえて「延期」を、それもまた「二年延期」であればまだしもあえて「一年延期」とする極めて特異かつ異例の合意決定というべきものであった。

  

 この契約当事者が特異かつ異例の「一年延期」の合意に至った事情や状況は、いまに至るも明らかにされていないが、概ね、以下のとおりと推測される。

 

 

 報道によれば「一年延期」を申し出たのは日本の政権側からとのことであるが、当時の日本の政権側の事情や状況は次のとおりであった。

  

 第二次安倍政権はその最終的な政治目的を自民党結党以来の宿願でもある憲法改正の実現においていた。

 

 憲法改正の発議には各議院の総議員の3分の2以上の賛成を要する。

 安倍政権はその各議院の総議員の3分の2以上の賛成票獲得のための選挙対策を徹底していた。

 安倍首相は、民主党政権時代を悪夢とこきおろし、もともと政治家の無能の象徴に過ぎない「官僚支配」を逆手にして「政治主導」を演出し、みずからを国家とまで称して偶像化を計りながら、国民の多くが愛でる桜を利用した「桜を見る会」の主催者として、芸能人をツマに多くの地元選挙民や反社会勢力までをも招待して大盤振る舞いし、また選挙現場では投票動向の調査分析による効率的な応援演説政治家の派遣や重点的な選挙資金の投入などして、ただひたすら与党勢力の拡大、与党議員数の拡大増大を図っってきていた。

 また国民が時の政権を支持しまた政権与党議員への投票に直接に結びつけることが容易い経済政策では、いわゆる禁じ手も厭わずに日銀を抱き込んだデフレ脱却と株式相場維持上昇に注力し、これまた政治家の無能の象徴である「岩盤規制」を逆手にとったポーズだけの「国家戦略特区」などで目眩ししながら、「東京オリンピック」、「総合型リゾート」、「GOTOキャンペーン」などのイベントスケジュール化による経済刺激復興を目論んだ。

 さらには憲法改正の最重要項目である自衛隊の明記や非常事態条項の創設に障害となりうる芽を摘み取るために、「自虐史観」なる造語を利用していわゆ左派文系の思想や論者を排撃して日本の歴史と伝統文化再評価の教育行政を採るとともに、「科学立国」なる造語により理系優位とする学術行政を進めた。

 教育勅語を指針とする教育に対する優遇を図ろうとした森友学園事案や日本学術会議に対する政治介入事案なども、自民党政府の憲法改正に向けた策の一貫にある。

 またその外交としては、トランプ大統領との親密関係構築によって日本の自衛戦力強化とそれにつながる自衛隊明記等の憲法改正を容認させ、ロシアのプーチン氏や中国の習近平氏との友好関係構築と政治妥協によって安全保障上の警戒心を緩和して自衛隊明記等の憲法改正を容認あるいは黙認するよう目論んできた。

 国連憲章にはいまだ敵国条項があり、安全保障常任理事国にはアメリカ、ロシア、中国が名を連ねており、それらはいまも自衛隊明記や非常事態条項創設に対する国際的な制約環境としてあり、安倍政権の上記外交はその制約を打破しようとする目途でもあった。

  

 その安倍政権の前に2020年の年初に突如現れたのが中国発とされた新型コロナであった。 

 しかしその時にはすでに中国からの春節客などインバウンドを歓迎期待の最中であり、また春には周近平氏国賓招請、さらには7月には東京オリンピック開催が待ち受けていたのである。

 安倍政権は新型コロナに関し、中国あるいはWHOからいつどのような情報を得ていたか明らかにしていないが、中国が1月6日には人から人へ感染するとの情報を国際発信したと述べていることからすれば、遅くとも1月中旬にはその確たる情報に接していた可能性が高い。

 そうだとすれば、遅くともその段階で安倍政権は、当時制定されていた感染症法、特措法、検疫法などの感染症関連法令に従った新型コロナ対策を直ちに採るべき状況に至っていた。

 就中、まずは中国からの多くの春節客の入国に制限を加えるべき措置を早急に採るべきであったが、安倍政権はそれすら怠った。

 その理由を、安倍政権が、上記した憲法改正を最終目標として採択した諸政策への影響を憂慮した結果であると考えることは極めて自然であり、合理的である。

 春節客への入国制限はそのインバウンド収入を当てにした観光業界への大きな経済的打撃となるし、またそれは春に予定する習近平氏の国賓招請への支障となることを恐れた結果の可能性が極めて高い。

 

 また、安倍政権は新型コロナを感染症法上の指定感染症政令指定し、よって新感染症ではない以上特措法の適用はない旨対応した。

 3月中旬になって特措法改正によって新型コロナを適用対象に組み入れたが、そのため特措法上の発生時における措置など採れないままの中途適用による後追い対策という失政に繋がった。

 少なくとも当時新型コロナはその症状など既に知られている感染症(指定感染症)ではなく新感染症と判断することも可能であったし、仮に新感染症とした場合には直ちに特措法を改正すべき状況であったが、安倍政権はこれも怠っっている。

 これまた特措法適用で緊急事態宣言をする事態となれば、上記した憲法改正を最終目標として採択した諸政策へ大きな影響を与えることを恐れたあえての消極対応であったと考えることは自然であり、合理的である。

 

 このような状況下の2020年3月当時、すなわち世界もまた国内にも感染拡大し、感染者数の増加が顕著となり始め、ワクチンや治療薬の開発が始まったばかりでその認可時期などの見通しもなく、収束の見込みがまったくないなか、東京オリンピックの7月開催への国内外からの反対論が次第に高まり、ついに安倍政権はIOCから中止についての打診を受けたのである。

 上記した通り、安倍政権にとって東京オリンピックは単なる国際的なスポーツ大会ではなく、最終の政治目標である憲法改正に向けてスケジュール化した欠かせないイベントであり「中止」はなんとしても避けなければならなかった。

 

 そこで安倍政権が持ち出したのが大会開催の「中止」ではなく「延期」であった。

 

 新型コロナもいずれは収束するだろうから、「中止」ではなくそのスケジュールの時期変更である「延期」にとどめておいて、なお憲法改正への道筋を確保するとの算段である。

 

 さらには安倍政権は「二年延期」」でなく「一年延期」を申し出た。

 上述の当時の状況下で「二年延期」ならまだしも「一年延期」は極めて大きなリスクを負うこと明らかにも関わらず、安倍首相があえて「一年延期」を主張した結果と報じられているが、そうだとすればその理由は以下の通りであろう。

 

 すなわち、安倍首相の政治的野望はみずからの手で憲法改正を成し遂げることであるから、そのスケジュールの逆算によって、「二年延期」ではなく「一年延期」であればこそ、その開催による経済効果で景気を刺激させ、また政権支持率の浮揚を得て次の衆院総選挙で与党勢力の増大に結びつけうるとともに、その勢いで総理の座を維持しながらに、みずから「総理」として、まさに自分の手で憲法改正の国会決議に持ち込むことができるとの算段が働いた結果と見るのが、これまた自然であり合理的である。 

 以上の通り、2020年開催予定だった東京オリンピックは、単なる国際的なスポーツイベントでもまた単なる景気刺激や国民感情の高揚のためではなく、安倍政権及び自民党による宿願の憲法改正に向けての諸政策の一つとしてスケジュール化されていたことから、それゆえに新型コロナの出現と感染拡大という不測の事態に対しても、感染拡大と経済動向とのバランスで判断されるべき一般的適切とされる感染症対策を採ることなく、あるいは採ることができずに、その憲法改正スケジュールへの悪影響を考慮に入れた、それゆえに過度に経済重視となる、それゆえに本来の適切な感染症対策と異なる、国民には理解し得がたい、一見すればちぐはぐのあるいはその場凌ぎと見える対策に終始してきているというべきである。

 これに「一年延期」が安倍氏の個人的な政治的野望によるもので、しかも「二年延期」に比較してその通常開催の見通しなど極めて低かったという事情を考慮に入れれば、この「一年延期」の申し入れ自体、極めて不合理でありかつ不道義というべきものであった。

 

 

 一方のIOC側の事情や状況は次のとおりであった。

 

 既述のとおり、今回「中止」ではなく「延期」を申し入れたのは日本の政権側であったとされているが、上記の通りオリンピック憲章と当該契約に拘束されるIOCとしては、それにおいそれと応じられるわけがないこと明らかであった。

 IOCがその存立の基盤とする上記オリンピック憲章の基本的理念に関わる定めをみずから軽々に蔑ろにすることは、IOC自身の存亡に関わりうるからである。

 

 また「二年延期」でなく「一年延期」の申し入れに対しては、上記の通り、当時、未だ新型コロナの医学的所見も乏しく、また治療薬、ワクチンの開発認可の見通しもない、感染収束の目処がほぼつかない状況での「一年延期」は、IOCとしても極めてリスクの高い「賭け」であり、これまたおいそれと応じることができないことも明らかなことであった。

 IOCとして一度「延期」に応じながら、その「延期」理由と同じ新型コロナの感染拡大あるいはその未収束を理由としてなおさらに「延期」あるいは「中止」するとすることは論理上も困難であり、それはなおIOCの存亡の危機を増すものである一方、開催強行によって新たな感染拡大を招くことなどあれば、契約上の責任はともかくとしても、世界中からの厳しい批判を招くこと必死であり、やはりIOCにその存亡の危機が迫りうるからである。

  

 以上、「一年延期」の申し入れは、日本の政権側の、就中、安倍首相個人の政治的野望を実現するための不合理で不道義な政治判断に基づくという、特別の事情や状況があったのであり、またIOC側にとっては、そのような申し入れにおいそれと応じることは、IOC自身の存亡に関わるべきリスクが極めて高いという、やはり特別の事情や状況があったのである。

 

 このような当事者双方それぞれの特別な事情や状況のもとで、双方がそれをひとまず互いにさておくなどとして、ただ「一年延期」だけの合意をするとすれば、それは単なる野合というべきものであり、国際的最大のスポーツイベントでの、まして国家が関与する取り決めとしては到底考えられない。

 

 つまり、当事者双方からは、それぞれの特別な事情や状況に基づいた条件提示がなされそれらを相互に検討しあって合致が得られた事項をその内容として取り込んだ新たな「一年延期」の契約が締結されたはずである。

 

 具体的には、日本の政権側からは「一年延期後の大会は、なんとしても開催する、新型コロナが収束していなくてもその状況に応じた対策のもとで行い、再度の延期や中止を求めることはしない、延期に伴う費用やリスクはすべて日本側が負担する」といった条件提示があったはずであり、IOC側からは「一年延期後大会は、新型コロナの感染状況如何を問わず、日本側の責任と負担において必ず開催することを求める、再延期は認めない、延期後はIOCの裁量によって中止を決定することはしない。」といった条件提示があったものと推測され、それらについて双方の意思の合致をみたものが新たな契約内容とされたはずである。

 

 この合意に至る交渉においてIOCが優位の立場で行動したことは優に推定できる。

 

 もともとオリンピック憲章及び当該契約はIOCの利益あるいは権利が偏重された極めて不平等で一方的というべきものである。

 まして「一年延期」の申し入れが日本政権側からの、就中、安倍首相の政治的野望を実現するための不合理で不道義な政治判断に基づくこと、その一方でIOCにとって、その「一年延期」を受け入れることはIOCの存亡に関わるべきリスクの極めて高い判断であったという事情を加えれば、その「一年延期」の新たな契約もまた、IOCの利益あるいは権利が偏重された極めて不平等で一方的というべきものであると強く推定されるものである。

 

 よって、前記の日本の政権側からの提示条件とIOC側からの提示条件はそれぞれそのまま相互に受け入れられ双方の意思の合致をみたものと合理的に推定されるものである。

 

 そうであれば、2020年3月24日の「一年延期」に伴って新たに締結されたはずの契約は、その後の新型コロナの世界的感染状況あるいは収束状況によっては、契約当事者それぞれの経済的社会的命運をも大きく衰退させうる極めて不合理で不正義の危険極まりないものであったというべきである。

 

 

 

 その新型コロナは2021年が明けてもなお世界の感染拡大は治らず、変異種の出現も加わってその早期収束の希みはほぼ断たれつつある状況にあり、7月の大会開催可能性への危惧は日増しに強くなるばかりである。

 そしてそれに連れて、2020年3月24日の「一年延期」に関する不合理で不正義で危険極まりない新たな契約の実相が日毎に浮き彫り顕在化しつつあり、IOCとともにこの日本の経済的社会的命運が大きく衰退していく危機に迫られつつある。